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9月, 2022の投稿を表示しています

イエスタデイ 村上春樹 あらすじ、見どころ、そしてうんちく

あらまし 短編小説集「女のいない男たち」(2014年3月刊行)の2番目に収録されている小説。 この「イエスタデイ」は、ビートルズの有名な曲のタイトルから取られています。そして、同時に主人公である僕(谷村)のイエスタデイでもあります。  この短編集巻頭の「ドライブ・マイ・カー」とは内容のつながりは全くありません。「ドライブ・マイ・カー」は主人公の家福が、妻の大事な部分を知らないまま死別したことで「女のいない」喪失感と闘っています。それを不器用に聞きながら、少しずつ心を開いていくみさきの「女らしさ」が少しだけ顔をのぞかせます。話としてはまだ続けられそうですが、作者は「女のいない」状態で終わらせています。本作「イエスタデイ」には主人公の谷村、友人の木樽、木樽の恋人である栗谷えりかが登場します。そして「女のいない男たち」というテーマは共通しています。 リンク あらすじ  僕(谷村)の友人である木樽は、ビートルズの「イエスタデイ」を関西弁の歌詞で歌う風変わりな男です。ふたりは早稲田の正門近くの喫茶店のアルバイトで知り合いました。僕は芦屋出身で、早稲田大学文学部の二年生です。一方、木樽は浪人生。しかし、木樽は受験勉強を全くせず、関係のない本ばかり読んでいます。完璧な関西弁を話していますが、実は生まれも育ちも田園調布です。それなのに、大阪の天王寺にホームステイして関西弁をマスターしたことを僕に説明します。僕は東京に出て来てから、関西弁を使わなくなりました。  木樽には小学生の時から付き合っている幼なじみの女の子がいます。栗谷えりかです。上智大学の仏文科でテニス同好会に入っています。彼女は『思わず口笛を吹きたくなるくらいきれいな女の子』で、『スタイルもよく、表情が生き生きして』います。そんなすてきな子なのに、木樽は大学に合格するまでは交際を控えることにします。しかも、突然『なあ、谷村、・・・彼女とつきおうてみる気はないか?』と言い出します。僕は、木樽がどうしてそんなことを言い出したのかよく理解できませんが、『人目を惹く美人』に会ってみることにします。 Kevin Kleberによる写真: https://www.pexels.com/ja-jp/photo/13005057/ 見どころ  僕は、作者である村上春樹の分身なのでしょう。ビートルズのうんちくをたっぷり語っています。...

「幸福さん」 源氏鶏太 あらすじと見どころ

あらまし 昭和28(1953)年2月から7月にかけて毎日新聞に連載された源氏鶏太の小説。 源氏鶏太が「英語屋さん」などで直木賞を受賞したのが1951年。本作はその2年後に書かれた長編小説です。戦後の混乱から少しずつ高度成長に向かう時期です。善良な庶民が幸福を求めている姿を描いています。主な登場人物はみな善良で、優しい人たちです。源氏鶏太作品、特に初期の作品の典型的な設定と展開です。生きることにちょっと疲れているなら、本作の温かな人間模様を読んでみて下さい。 あらすじ  主人公は丹丸(たんまる)さん(59歳)で9年前に妻を亡くしています。7歳の正美君と暮らしています。ふたりが日曜日に釣りぼりでフナを釣っている場面から話が始まります。その丹丸さんの隣りに53歳の女性がやって来ます。花子という名前ですが、年を聞かれるよりも、その名前を尋ねられるほうが恥ずかしいと言って、ホッホッホと笑います。その花子さんも10年前に夫に先立たれています。何度か釣りぼりで隣同士になりますが、ある日花子さんが「ものは相談ですが、私をあなたの花嫁さんにする気はありませんこと?」と言い出し、丹丸さんは飛び上がらんばかりに驚きます。丹丸さんは再婚する気持ちはありませんが、花子さんはあきらめません。  丹丸さんの家の離れには明朗君とみさきさんという兄妹が住んでいます。そして、花子さんは息子の卓夫君、嫁の康子さんと一緒に暮らしています。丹丸さんと花子さんの関係はどうなるのか、同時にみさきさんの結婚話が持ち上がります。 見どころ  読み進めていくと、消極的な丹丸さんよりも明るくて積極的な花子さんが話の展開の中心になっていきます。そこに丹丸さんの娘の複雑な事情や明朗君とみさきさんの職場が絡んできます。善良な人たちの語り口が温かくて、ちょっとコミカルなのがとても楽しいですね。いろいろな人物とエピソードが出てきますが、源氏鶏太の文章はわかりやすいので、するすると読めます。  本作は新聞に連載された小説ですが、おもしろいホームドラマを見ているようです。連載が終わった2ヶ月後には映画が公開されています。59歳の丹丸さんと53歳の花子さんがお年寄り扱いされているのが、今とはかなりちがう感覚です。しかも、花子さんの方から結婚を申し込むという出だしが小説としてはうまいです。丹丸さんが、なかなか花子さんの積極的なところにつ...

「ドライブ・マイ・カー」村上春樹を聴きながら

  わたしはいつもの習慣で、カーラジオをつけた。 NHK ・ R1 である。以前は NHK 第一と言っていた。午前中、車で移動しながら仕事をしているので、 8 時から 11 時くらいまでのラジオ番組は耳慣れている。その日は祝日だった。仕事の予定は休日でも変わらないのだが、ラジオの番組はいつもとちがう。ふつうは、 8 時のニュースのあとはマイあさだよりだが、その日は【村上春樹を読む「ドライブ・マイ・カー」】だった。  村上春樹。現役の作家のなかでは最も有名なのではないだろうか。毎年、ノーベル文学賞を取るのではないかと期待されている。国内外を含め、最も人気のある日本人作家なのかもしれない。そんな村上春樹なのだが、「文学好き」のわたしは彼の作品をひとつも読んだことがない。タイトルはいくつか知っている。「 1Q84 」とか「ノルウェーの森」。  なぜ読んだことがないのか。言いかえれば、なぜ読みたくないのか。理由ははっきりしている。それは、わたしが天邪鬼だから。みんながいいと言えば言うほど、じゃあ自分がわざわざ読まなくてもいいかなと思ってしまうのだ。読んだことがないのだから、好き嫌いとか、良い悪いとかは言えない。ただ、多くの人が好んで読んでいる作家の本を読みたいと思わないだけだ。もう一つ、敬遠してきた理由がある。それは、彼の作品には性的な描写が多過ぎるという評価があるからだ。わたしは、その種の感覚を味わうために小説を読みたいとは思わない。そういう理由でこれまで一度も読んだことのない作家は他にもいる。例えば、谷崎潤一郎などがそうだ。   その日は村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」を聴いてみようと思った    だが、その日はなぜだろう。突然、『きょうは村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」全編の朗読をお楽しみください』とアナウンスされた時、一瞬躊躇したものの・・・うん・・・ちょっと聴いてみようとつぶやいていた。もしかしたら、「ドライブ・マイ・カー」がアカデミー賞・国際長編映画賞を受賞していたからかもしれない。あるいは、村上春樹がどんな文章を書くのかに興味があったからなのかもしれない。 Hands off my tags! Michael Gaida による Pixabay からの画像    朗読は俳優の勝村政信。この名前は初めて聞...

「檸檬」 梶井基次郎 あらすじと見どころ

Richard John による Pixabay からの画像 初出 大正 14 年 (1925 年 )1 月 同人誌「青空」 短編小説 発表時にはあまり注目されなかったが、死後高い評価を受けます。 長い間、多くの人に読まれてきた短編小説です。若者の得体のしれない不安、京都を舞台にしているものの現実と想像を行き来する焦燥、嫌悪、享楽の感情を描いています。   あらすじ  私は得体の知れない不吉な塊に始終おさえつけられていました。京都から逃げ出して、だれも知らない街に行きたいのです。まるでお金はないのですが、ちょっとした贅沢が慰めとなります。と言っても二銭、三銭のものですが。生活がまだ蝕まれていなかった頃は丸善が好きでした。そこで、赤や黄のオーデコロン、琥珀色やひすい色の香水壜、石鹸などを小一時間も見るのですが、結局のところ一番いい鉛筆を一本買うだけでした。その丸善も今は重苦しい場所です。  私は友達の下宿を転々としていたのですが、ある日何かに追い立てられるように街にさまよい出ます。そして、寺町の果物屋に足を留めます。その店は妙に暗く、私を引き寄せます。その日は珍しく檸檬を見かけます。それを一つだけ買ってから歩き出すと、なぜか不吉な塊が弛んできたのです。肺結核で熱のある私には檸檬の冷たさも快いものでした。そんなささやかな幸福を感じているうちに、私は丸善にたどり着きます。その丸善の店内で、憂鬱が立ち込めてきます。そのとき、袂の中に檸檬があることを思い出します。そして、その檸檬を・・・。   見どころ 若者ならだれでも味わうであろう漠然とした不安。それを様々な色合いのものから感じる喜びと対比しています。例えば、こんな表現があります。 『私はまたあの花火といふ奴が好きになつた。花火そのものは第二段として、あの安つぽい絵の具で赤や紫や黄や青や、さまざまの縞模様を持つた花火の束、中山寺の星下、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火といふのは一つづつ輪になつていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を唆つた。』 花火そのものよりも、安っぽい絵の具で色採られている束の詰められた様子に心が惹かれていることがわかります。そして、最後に色鮮やかな檸檬が登場します。ただの檸檬ですが、著者はそれをいろいろな感覚で表現しています。 『実際あ...

松本清張 小説三億円事件 あらすじと見どころ

新潮文庫 「水の肌」に収録 初出は週刊朝日・昭和50年12/5号から12/12号 背景  本作の題材となっている「三億円事件」-日本の犯罪史上、迷宮入りした最も有名な事件。1968年(昭和43年)12月10日に発生、7年後に時効を迎えました。日本中がその時効の話題で持ちきりだった、ちょうどその時期に発表されたのが本作です。  東芝のボーナスを運ぶ銀行の現金輸送車を白バイに偽装して強奪したのですが、ひとりのけが人もありませんでした。犯行に至る綿密な工作もあいまって、アルセーヌ・ルパンを思わせるような「鮮やかな」犯罪と捉えられていました。 あらすじ  そんな鮮やかでだれも傷ついていない犯罪ですが、損害保険会社は被害を被っていました。そして、その保険会社の依頼を受けた探偵事務所長が事件を再調査するという設定で推理を組み立てていきます。松本清張ならではの卓抜な設定と推理です。  「小説」と銘打っているので、虚構の部分が多いと思われますが、読み進めていくうちに、ひょっとしてこれが真相かもしれないと思わせる推理の組み立てと展開は見事です。  語り手である探偵事務所の所長「わたし」は事件の真相を知る必要があります。刑事事件としては時効が成立しても、損害保険会社が犯人に損害賠償を請求できる期間が、まだ13年も残されているからです。事件に至るまでの関連する脅迫、窃盗の事例が時系列に挙げられていきます。そして、当日の犯行の状況と捜査の展開が説明されます。犯人は、土地勘に優れ、自動車・バイクを巧みに乗りこなします。しかし、ここまで鮮やかに成功するには単独犯とは考えにくいと推理していきます。  警察は、事件の1週間後に自殺した22歳の若者がかなり怪しいにもかかわらずシロと判断します。わたしは、その若者、浜野健次の義兄が警備会社に勤めていること。義兄の伯父が警備会社の社長であり、元警察官僚であることを突き止めます。そして、何と健次が自殺する時に服用した青酸カリは・・・・ここから先は、ぜひ本作をお読みください。 ドラマ化 この作品は2014年にテレビ朝日開局55周年記念でドラマ化されています。 主演は田村正和で、アメリカの保険会社の査定部長です。小説には全く登場しない女性がドラマに味わいを持たせます。それは、田村正和の母を演じる奈良岡朋子と健次(手越祐也)の恋人役の北乃きいです。健次の姉を演じ...

三浦哲郎 師・井伏鱒二の思い出

「師・井伏鱒二の思い出」は小説家・三浦哲郎による随筆。2010年8月三浦哲郎が亡くなったのち、新潮社より単行本として刊行されました。初出は1996年から2000年にかけて刊行された井伏鱒二全集の月報(全16回)です。 あらまし 三浦哲郎が井伏鱒二に師事するようになったいきさつ 小説の習作から芥川賞を取るまでに井伏がどのように三浦を鼓舞したのか 文壇、将棋、人付き合いにおける師の振る舞いと温かい交流 師の絵画や書について などが優しくそして温かい文章で綴られています。 作家では太宰治、川端康成、松本清張。将棋界では大山康晴名人、加藤一二三九段にまつわるエピソードが優しい文で書かれています。三浦は師・井伏と周囲の人々への思いやりに満ちていたことがよくわかります。 見どころ 三浦が早稲田に再入学し、同人誌に「遺書について」という習作を発表しました。井伏はそれを読み、書き手に会ってみたいと言ったのが、師事するきっかけになりました。昭和30年6月のことです。荻窪に住む井伏を三浦は訪ねます。井伏は三浦の作品を激賞し、君の書いたものを読んだら自分にもまた書く気力が湧いてきたと言います。そして、しばらくすると、井伏は太宰のことを思い出します。そのくだりはこうです。 「太宰はよかったなあ。」と先生は、暗くなった庭へ目をしばたたきながらいわれる。「ちょうど今時刻、縁側から今晩はぁとやってくるんだ。竹を割ったような気持ちのいい性格でね。・・・生きてりゃよかったのに・・・」 太宰さんの思い出を語られる先生のお言葉の一つ一つに、深い愛情が感じられて心を打たれた。 太宰が亡くなったのは昭和23年ですから、この文章に書かれていることは、その7年後のことになります。もし、太宰が健在だったら、同郷(太宰、三浦ともに青森出身)の兄弟子として、ここにいたのにというふたりの無念が伝わってきます。三浦哲郎の文章は、このような感情を伝えるような内容でも、極力そのような表現を用いないで、読者に気持ちを伝えるという点で、卓越した書き手です。短い文章でも内容は言い尽くされているような読後感があります。 井伏は、定期的に訪れる三浦にいろいろなことを雑談しながら教えたようです。 先生は、厭な顔一つなさらずに、問わず語りにいろいろなことを話してくださった。先生の座談はまことに面白かったが、私はただうっとりと聞き惚れてばか...

太宰治 如是我聞 あらすじと見どころ

如是我聞とは 1948 雑誌「新潮」に4回にわたって掲載された太宰治の最後の随筆。 如是我聞は【にょぜがもん】と読みます。 太宰治は1909年(明治42年)6月19日生まれ。1948年(昭和23年)6月13日38歳で死去。 本作は6月5日に第4部が筆記されました。最終行で「いくらでも書くつもり」と結んでいるので、まだまだ書く意欲はあったことは明らかです。未完成の遺稿となりました。 By Shigeru Tamura - https://images.wook.pt/getresourcesservlet/GetResource? Public Domain, 本作の意義 志賀直哉に対する反論と批判がかなり強い調子で書かれています。さらに、実名こそ挙げられていませんが、彼の作品を批判していた他の作家・文学者たちへの辛辣な批判はかなり強烈で、病的にすら感じられます。ただ、その中で太宰が小説家として何を目指していたのかも明らかにされています。全体的に怒りに満ちていますが、かなり具体例を挙げての反論・批判ですので、別れを暗示させる響きはありません。太宰が目指していたものは何か。それを考察してみましょう。 第1部 『自分は、この十年間、腹が立っても、抑えに抑えていたことを、これから毎月、この雑誌(新潮)に、どんなに人からそのために、不愉快がられても、書いて行かなければならぬ、そのような、自分の意思によらぬ「時期」がいよいよ来たようなので、様々の縁故にもお許しをねがい、或いは義絶も思い設け、こんなことは大袈裟とか、或いは気障とか言われ、あの者たちに、顰蹙せられるのは承知の上で、つまり、自分の抗議を書いてみるつもりなのである。』 これまで10年間、我慢してきたことを書いていくという決意表明です。「義絶も思い設け」という所が引っ掛かります。師である井伏鱒二と関係を絶つ可能性を予見しているようです。 第2部 冒頭で太宰は聖書のマタイ23章4節から15節を引用しています。イエス・キリストが偽善者である律法学者とパリサイ人たちを強く断罪している部分です。太宰を面と向かってはほめるのに、雑誌などでは心なく批判し、こき下ろす文学者たちが、偽善者である語学教師であると断罪しているのです。その中で、太宰は 『文学に於て、最も大事なものは「心づくし」というものである』 と述べています。それは、『料...

とんかつ 三浦哲郎 あらすじと見どころ

1987年(昭和62年)発表の短編小説  あらすじ  北陸の旅館のおかみが語り手となっています。 三月下旬のある日、母親と息子が泊まりに来ます。はるばる青森からです。二人の様子から死に場所を求めてやって来たのではないかと女中は推測します。  翌日、親子は外出します。日暮前に戻ってくると、息子は頭を剃り、お坊さんになる修行に入ることが明らかになります。住職である父親が交通事故で亡くなり、15歳の息子が跡を継がなければならないからです。親子が共に食事ができる最後の晩に、「なにがお好きかしら」とおかみが尋ねます。母親は即座に「とんかつにして頂きゃんす」と答えます。5年間は会わないつもりです、と母親は言っていたが、一年後に再び母親が現れます。  見どころ  単行本で8ページの短編小説です。出だしで母親と息子の様子が謎めいていて、読者の興味をかき立てます。作者は巧みに説明を省いているために、読者は自分でいろいろと想像をふくらませながら、読み進めることができます。謎の提示と巧みな省略が小説としての型をしっかりと持たせています。  例えば、主題である「とんかつ」がなかなか登場しません。これから、5年も会えないなら、ご馳走にしましょうということになり、ついに「とんかつ」が出てきます。これが単に息子の好物であるというだけではありません。 HeeKyun AhnによるPixabayからの画像   語り手がどんな女性であるかがほとんど描写されていません。つまり、宿の主であろうということはわかりますが、女性であるという外見の説明がないのです。むしろ、話し方から思慮深い女性であろうと思わせます。女中が話の途中で「奥さん」と呼び掛けているので、おかみであることはわかります。そして、「なにがお好きかしら。」、「なにをお出しすればいいのかしら。」というような短くて、相手の気持ちを引き出すような問いかけ方が巧みです。つまり、作者はおかみの発した言葉だけでその人となりを表現しているのです。  一方、母親と息子については、外見についても最低限の描写をしていますし、名前も挙げています。つまり、語り手のおかみは作者の分身であり、母親と息子の外見よりも内面の動きに注目していることが読み取れるのです。 いろいろな読み方があっていい  教科書に採用されているためか、いろいろな解釈があって興味深い...

完本短編集 モザイク 三浦哲郎

三浦哲郎の念願  三浦哲郎は学生時代に小説の習作を始めました。井伏鱒二に師事と「新国語便覧」(文英堂)にはあります。私小説の短編の名手と言えるでしょう。その三浦はこう書いています。「たとえ一篇でも、二篇でも、よい短編小説を世に遺したいという願いを持つようになった。その気持はいまも変わらない」。  「ただ、一篇の長さについては、すこしずつ考えが変わってきている。最初は30枚できちんとしたものをというのが念願であった」。原稿用紙1枚は400字が標準なので、12,000字ということになります。文庫本は1ページ600字が標準なので、20ページくらいの作品ということです。本を読むのが速い人なら、すぐに終わってしまいそうな長さです。ちなみに芥川賞受賞作の「忍ぶ川」は74枚です。最初は、30枚できちんとしたものを念願としていましたが、徐々にもっと短いもの20枚くらいが適量になりました。そして、この「モザイク」では、10枚くらいになっています。 しっかりと腰を据えて読みたい  短編小説としては、切り詰めていくと、最終的にそのくらいになるのかなという感じです。ただ、ショートショートや、それよりも短いものも今はたくさん書かれています。SNSで短い文章があたりまえの状況になっている今なら、三浦は何と言うのでしょうか。  長さに関係なく、小説には読者に情景を思い浮かべさせるような描写が必要でしょう。テーマが展開していくプロットもあります。三浦の書いたものは暇つぶしに娯楽として読むというようなものではありません。短いながらも、しっかりと腰を据えて読み進めていくような慎重さが求められます。やはり、思ったことをそのまま伝えていくような昨今の傾向とは全く異なっています。 「忍ぶ川」から始まった旅の終わり  いずれにしても、「忍ぶ川」とそれに続く作品で三浦の当初の念願はかないました。今後も読み継がれていくでしょう。この完本短編集「モザイク」の作品群はどうでしょうか。全部で62篇が発表順に並べられています。じっくりと読んで味わいたいものばかりです。  三番目に収められている「とんかつ」は短編小説のお手本と言えるでしょう。読者になぞを提示します。読み進めていくうちに、少しずつそのなぞが安心感に変わります。そして、テーマである「とんかつ」は実は小道具であり、本当は主人公が成長する様が読者に刻み込まれるので...

自分の気持ちをだれに伝えよう

本音が受けるTwitter わたしは自分の情報を発信するためにTwitterを使っています。同時に、人々の心のうちにある思いもTwitterから伝わってきます。本音で語っているツイートが多くのいいね!を獲得しているのは、どのSNSにも共通しています。最近、印象に残ったツイートはこれ。  夫からひと言もお礼や言及がなくても結婚以来ずっと欠かさずに来た、義両親の誕生日お祝いの電話、父の日母の日の贈り物などを一切やめた。「今年(俺の母の)〇〇歳のお祝なんだけどスルー?」と言われたので、「うちのお母さんの誕生日言える?」と聞き返したら黙った。そういうことだよ。甘えんな。 — aki (@__aki_aki__) September 8, 2022 akiさんは、夫の思いやりのなさにほとほといやになっているようです。そして、義理のご両親にも何かいやな感情を募らせているのかな。これまで、夫から感謝されなくても、続けてきた義父母へのお祝いを突然すべて終了。 日々の中で言わずに来た言葉や気持ちをその都度伝えて来ていたら、今が違ったかなと考える。いやきっと夫婦ではなくなっていただろうな。たくさんの言葉を飲み込んできたからこそ、子供たちと「家族」として楽しい時間を過ごせたことも事実。私一人の力では今の学生生活を送らせてやれなかった。 — aki (@__aki_aki__) September 2, 2022 自分の気持ちをだれに伝えたらいいのか 家族でいやなことがあったら、その気持ちをだれに伝えるのがいいのでしょうか。基本的には、当人に話して理解を求めるのがいいのではないかな。家族の他のメンバーだけでなく、隣近所や職場でも関係ない人に話せば、ちがう問題が生じます。akiさんは、『たくさんの言葉を飲み込んできたからこそ、子供たちと「家族」として楽しい時間を過ごせた』とツイートしておられます。つまり、夫に対して、言いたいことを言わずに忍んでこられました。もし、『その都度伝えて来ていたら、・・・きっと夫婦ではなくなっていただろうな』とも。たしかに『甘えんな』と正面切って言ったら、けんかになりますよね。でも、夫が受け入れられるような言葉で伝えてみたらいいんじゃないかな。そんな気持ちをわたしはリプライで送ってみました。 akiさん、初めまして。これまで感謝されてなくても、ずっと続けてこ...

帰郷 三浦哲郎 貧しさの中にかすかな光が射す

宇野浩二の随筆「質屋の小僧」と「質屋の主人」は質屋を巡る悲哀と文学青年のエピソードが絡み合っている秀作です。そして、著者である宇野が、芥川賞の選考委員として三浦哲郎の「忍ぶ川」をそれほど推していなかったというエピソードを以前に書きました。 今回は、「忍ぶ川」の続編ともいえる「帰郷」のあらすじとそこで描かれている情景が宇野の随筆と重なり合っていることについてです。 「帰郷」のあらすじ 志乃と私は東京で新婚生活を送っています。私は小説を書いていますが、なかなかはかどりません。経済的には苦しくなる一方です。志乃は生活を支えるために内職を始めます。しかし、それとて生計をすべて賄うことはできず、家賃の支払いは滞っています。栃木にいる志乃の弟妹たちは夫婦のところに時折やって来ます。弟は要(かなめ)、妹たちは小夜子(さよこ)と多美(たみ)です。私は彼らをもてなすために金を工面するのですが、そのために古本屋に本を売りに行きます。古書店の主人は相場よりも高い値で買い取ってくれます。私は彼の指がインクで汚れているのに気づきます。彼も自分と同じように物書きを志しているに違いない。私はそう確信します。志乃は私の勧めで自分の着物を質入れしています。ある時、二人は古書店の前を通りかかります。古書店は夜逃げ同然で郷里に戻っていました。要と小夜子は元気よく働いて、少しずつ大人になっていきます。私は義兄として彼らを世話する心持ちでしたが、健康を害したあげく、妹の小夜子にお見舞いをもらう羽目になります。志乃と私は新しい命と自分たちのために帰郷することにします。 見どころ 著者である三浦哲郎は本作も体験に基づいて書いています。あらすじだけ見ると、パッとしない展開ですが、そんな状況を、かすかに光が射しているかように、美しく描く筆力と構想はかなりのものです。本や着物でお金を工面するところ、古書店の主人が物書きを志しているあたりは、宇野浩二の「質屋の小僧」と似ていています。もちろん、三浦がアイデアを借りたのではなく、売れない作家がよくたどるルートだったのでしょう。本作では、志乃と私の生きる様と要・小夜子の生き方が対比されています。一歩間違えると、お互いを非難して決裂してしまう危うい環境ですが、登場人物は互いに対する愛情を失いません。小夜子は義兄に本当のきょうだいになってほしいと泣き叫びます。私が年若い弟妹の叫...

宇野浩二の随筆 質屋の小僧~質屋の主人

「忍ぶ川」三浦哲郎が1960年下半期の芥川賞を受賞しました。その選評のなかで宇野浩二だけが、かなり辛口でした。 名前は知っていましたが、彼の書いたものは読んだことがありませんでした。これだけ辛い評価をする宇野浩二は一体どんな文章を書くのだろうとちょっと気になりました。ウィキペディアを見ると、ちょっとどろどろした私小説が多いようです。青空文庫に彼の随筆が収められているので読んでみました。「質屋の小僧」と「質屋の主人」という連作の随筆です。その作品紹介の前に、宇野浩二のプロフィールを見ておきましょう。 宇野浩二のプロフィール 1891 年(明治 24 年) 7 月 26 日福岡市生まれ - 1961 年(昭和 36 年) 9 月 21 日死去。 早稲田大学英文科中退。『蔵の中』『苦の世界』など、おかしみと哀感のある作品を独自の説語体で発表し、文壇に認められた。その後『山恋ひ』『子を貸し屋』などで作風の幅を広げた。 (wiki より ) https://x.gd/zT1X7 芥川龍之介、佐藤春夫などと親交があり、芥川賞第 6 回から選考委員を務めました。 あらすじ 「質屋の小僧」では、宇野浩二が質屋に出入りしなければならなくなった事情が母親の様子に絡めて語られていきます。随筆なので、おおむね経験に基づいて書かれていると思われます。高山というその質屋には番頭や小僧たちがいるのですが、その最年少が宗吉です。時の経過と共に、人が入れ替わり宗吉が一番番頭になります。長い付き合いになるのに、宗吉は宇野に対して気安くは話しません。実は宗吉は文学青年になっており、自分の書いたものを宇野先生に見てもらいたいのです。宇野は原稿を見ます。宗吉は「有島武郎を下手に真似たような」文章で「大学生がその下宿している娘との恋を描いたものとか或るひは新思想の女学生が駈落をしようと決心する心理を書いたものとか、等、甚だ無味な空虚なもの」でした。宇野は大まじめに「これは、君、いかんよ」と言います。そして、もっと正直に自分の見たものを、自分の感じた通りに書くんだ」とアドバイスします。ここで宇野浩二が宗吉に教えたことは、小説の作法の前に、まず写実すること、そしてそこに自分の感じたことをのせた文章を書くようにということでしょう。文学青年に対してなかなか基本的なアドバイスです。 ところ...

「忍ぶ川」 三浦哲郎 素朴な温かさを感じる私小説

昭和 35 年 (1960 年 )10 月号の「新潮」に掲載 第 44 回芥川賞受賞。素朴な温かさを感じる私小説です。 あらすじ 三浦氏自身の経験を基に書かれています。東北出身の私は東京の私学に通う大学生です。寮の近くにある料亭「忍ぶ川」は大衆向けではあるものの、貧乏学生には敷居が高くめったに行けません。その料亭で働く志乃 ( しの ) はまだ 20 歳ですが、意を決して訪れた潮田という学生を軽くいなしたことを私は知ります。ある日、私を含む十人くらいの学生が送別会を忍ぶ川で開くことにします。私は志乃に「うんとつめたい水をもってきてくれないか」と声をかけます。志乃は思いのほか、誠実に私に接してくれます。志乃は深川で生まれ育ちますが、戦争で栃木に疎開してから深川を訪れる機会がありません。私は東北から出てきて一年ほどですが、深川には月に 2,3 度訪れています。それで、ある日私は志乃を深川に連れて行くことになります。小説は、二人が深川に出かける場面から始まります。 志乃と私はそれぞれの境遇を語り始めます。二人とも暗い過去を背負っています。そして、今もその影響は続いています。そんな二人がどのように結ばれていくのか。二人を取り巻く家族の素朴な温かさが志乃と私を包んでいく様が描かれています。 見どころ この作品は情景が丹念に描写されています。同時に話される言葉が素朴で、温かさを感じさせます。やはり、著者が経験したことを切々と書き上げているので、臨場感があります。全体に暗いイメージですが、その中に差し込む一筋の光のようなものが、読者の心をつなぎとめてくれます。どの時代にも通じる男女の恋心、愛情の芽生え、それを育てようとする懸命さが美しく描かれています。 本作は映画化されていて、私を加藤剛、志乃を栗原小巻が演じています。 芥川賞の選評 11 人の選考委員全員が賛成しました。何人かの選評の抜粋をご紹介します。 https://prizesworld.com/akutagawa/senpyo/senpyo44.htm#authorJ44MT を参考にしています。 最も高い評価  石川達三がとても高く評価しています。 「推す決心をして委員会に出席した。二度読み返してみて、これを推すことに自信を得た」「何よりも私がこれを推そうと考えたのは、この作品が...

源氏鶏太 「大出世物語」 短編小説の手本のような爽快さ

角川文庫 「大出世物語」に収録されている同名の短編小説。 1960 年 ( 昭和 35 年 ) 7 月・週刊朝日別冊に初出。 あらすじ 主人公の六さんは亀戸の十省印刷に出入りしている屑やです。それも、正式に仕事を請け負っているわけではなく、裏口で雑用をしている社員たちの好意で、清掃をして屑物をもらっていくのです。発送で使う縄、針金、板、ボール紙の残りだけでなく、不良の印刷物や断裁した紙の残りなど、換金すればかなりの額になるであろう資源ごみをただでもらうのです。六さんはこの仕事を続けるために、朝から晩まで丸椅子に腰掛けて待機しています。社員たちは、六さんに雑用を頼んで、見下げていますが、六さんは彼らの黙認がなければ、仕事が出来ないので、いやな顔もせずに雑用をこなします。盆暮れには付け届けまでしています。六さんはしっかり小金を貯め込み、雑用を束ねている社員が退職する時には、まとまったお金まで払います。それで、その社員は、後継の社員にも「六さんをよろしく頼む」と引き継いであげるわけです。 そんな、六さんが恋をします。その会社にやはり勝手に出入りしている闇屋の広子が好きになったのです。広子は六さんを小ばかにしていますが、小金を貯め込んでいることを知り、結婚してやってもいいかもと思うようになります。 時代背景 作中に十省印刷が出来たのは昭和 23 年。六さんは、この頃から来ているようだという記述があります。広子が出入りするようになったのは、昭和 27 年頃。そして、物語の終盤で六さんは 10 年以上、この会社から屑物をもらってきたと言っています。つまり、戦後まもない混乱期から闇屋商売が終わり、高度成長期にはいる昭和 35 年くらいまでを描いていることになります。 見どころ この作品は「大出世物語」というタイトルゆえに、六さんがどんな出世をするのだろうと読者は期待して読み進めることになります。その六さんは一見さえないおじさんですが、なぜか喧嘩も強いのです。そして、ヒロインである広子とは、すんなり結ばれるわけではありません。そんな六さんが、最後は本当に「大出世」する。しかも、読者の予想しない展開を迎えます。物語の設定、登場人物の描き方、単純に進まない話、読者の期待をいい意味で裏切る意外性。短編小説のお手本と言えます。源氏鶏太はサラリーマン小説の優れた書き手...

おすすめの短編小説- 或る「小倉日記」伝 松本清張

1952 年の作品です。芥川賞受賞。松本清張は幼少期から福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区に住んでいました。森鷗外が軍医として小倉にいた 3 年間の日記「小倉日記」の行方を探すことに生涯を捧げた人物を描いた短編小説です。この作品の前に発表された「西郷札」が直木賞の候補となりました。その翌年に書かれた作品。 あらすじ 1938 年(昭和 13 年)から 1950 年 ( 昭和 25 年 ) の出来事です。主人公の田上耕作(たがみこうさく)は生まれつきの障害で片足が麻痺しており、言葉がうまくしゃべれません。ただ知的には優秀です。彼の祖父が建てた貸し家には貧しい一家が住んでいて、そこのおじいさんは伝便(でんびん)を仕事にしていました。伝便とは手紙や小荷物を運ぶ使い走りのような仕事でした。耕作は朝おじいさんの鳴らす鈴の音を、何かはかない気持ちで聴いていました。 耕作は、ある日森鷗外の作品『独身』を読み感動します。なつかしい伝便のことが書かれていたからです。耕作は生涯ふつうの仕事にはつけませんでした。母親の裁縫と家賃収入で暮らしていました。しかし、友人である江南 ( えなみ ) のつてで蔵書の目録作りを耕作は手伝うことになります。そんな日々に耕作は、森鷗外が小倉での三年間の日記、『小倉日記』を補完することを思いつきます。『独身』、『鶏』、『二人の友』などの作品から小倉での鷗外の足どりを推測し、ゆかりの人物を取材していくのです。不自由な体でようやくたどり着いても門前払いにあいます。仕方なく翌日母ともう一度訪れるという経験をします。「こんなことに意義はあるだろうか」という思いが彼を苦しめます。さらに、戦争が耕作の前に立ちふさがります。耕作の麻痺は日に日に進んでいたのですが、戦後は食糧不足でさらに悪化し、ついには寝たきりになってしまいます。母も年をとりましたが耕作を看病します。耕作の希望の源は風呂敷一杯になっている、彼のあつめた「小倉日記」です。さらに衰弱した耕作が聴いた音は・・・・ 耕作は麻痺した体にもめげず、鷗外の知られざる部分を掘り起こしていきます。清張が郷土史ともいえる題材を小説に 仕上げる努力とだぶって見えます。 著者・松本清張について 自己の体験・歴史・社会・推理という要素を折り重ねている作品が多数あります。清張は 生活苦の中、多くの作家の小説を...

自分を変えたいなら、習慣を変えよう

習慣を見直す 最近、自分の習慣を見直しました。炭水化物をしっかり食べる、 ビールを週に 2,3 回 (350ml/ 回 ) 飲む、という自分の食習慣です。小さい時から、麺が大好きで、おまけにご飯もたくさん食べるという食事を続けてきました。最近までは、それで特に問題がなかったんですね。ところが、去年の健康診断で、血糖値と肝臓値が要診察という判定を受けてしまったのです。自覚症状は特にありませんでした。周囲からは、すぐに病院に行くように勧められました。でも、あわてて病院に行きたくはありませんでした。むしろ、この機会に自分の食習慣を変えてみよう。それで、だめなら治療すればよいと考えたのです。妻も食事に工夫を凝らして協力してくれました。 どう変えたのか しばらくの間は何となく炭水化物を減らす、アルコールは週一回にしてみました。そして、今年の健康診断の一か月前から、炭水化物は 50% に、アルコールは一切飲まないようにしました。その代わりに、野菜・豆腐・納豆などをたくさん食べるようにしました。これで数値が改善しなかったら、食習慣を変えるだけではだめだということがわかります。食事に加えて定期的な運動をすれば、さらに効果的でしょうが、これは次のステップです。   体重は減った さあ、今年の健康診断がやってきました。今回ほど気合いの入った健康診断はありません。結果によっては病人にされてしまうかもしれないのです。そして、食習慣を変えてみて、要診察を覆すというミッションもあります。体重測定、 2kg 減です。思っていたほど減ってはいませんが、良い兆候です。途中で看護師による健康相談があります。看護師はわたしの問診票を見ながら、「最近診察を受けていないとありますが、 ( 昨年の ) 血糖値が高いので、このままですと血液がどろどろになってしまいますよ」と軽くたしなめました。わたしは「食事を変えて様子を見ています」と返答しました。すると「たしかに体重は減っていますね」と少し口調が和らぎました。その他もろもろの検査が終わり、結果は 3 週間後に出ます。 効果はあったのか 3週間たちました。ついに結果が届きました。少し緊張して開封します。血糖値は・・・・肝臓値は・・・・・何と・・・・・・・要観察に ! 正常値ではありませんでしたが、要診察ではなくなりました。ほっ...