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「ドライブ・マイ・カー」村上春樹を聴きながら

 わたしはいつもの習慣で、カーラジオをつけた。NHKR1である。以前はNHK第一と言っていた。午前中、車で移動しながら仕事をしているので、8時から11時くらいまでのラジオ番組は耳慣れている。その日は祝日だった。仕事の予定は休日でも変わらないのだが、ラジオの番組はいつもとちがう。ふつうは、8時のニュースのあとはマイあさだよりだが、その日は【村上春樹を読む「ドライブ・マイ・カー」】だった。

 村上春樹。現役の作家のなかでは最も有名なのではないだろうか。毎年、ノーベル文学賞を取るのではないかと期待されている。国内外を含め、最も人気のある日本人作家なのかもしれない。そんな村上春樹なのだが、「文学好き」のわたしは彼の作品をひとつも読んだことがない。タイトルはいくつか知っている。「1Q84」とか「ノルウェーの森」。

 なぜ読んだことがないのか。言いかえれば、なぜ読みたくないのか。理由ははっきりしている。それは、わたしが天邪鬼だから。みんながいいと言えば言うほど、じゃあ自分がわざわざ読まなくてもいいかなと思ってしまうのだ。読んだことがないのだから、好き嫌いとか、良い悪いとかは言えない。ただ、多くの人が好んで読んでいる作家の本を読みたいと思わないだけだ。もう一つ、敬遠してきた理由がある。それは、彼の作品には性的な描写が多過ぎるという評価があるからだ。わたしは、その種の感覚を味わうために小説を読みたいとは思わない。そういう理由でこれまで一度も読んだことのない作家は他にもいる。例えば、谷崎潤一郎などがそうだ。

 その日は村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」を聴いてみようと思った

  だが、その日はなぜだろう。突然、『きょうは村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」全編の朗読をお楽しみください』とアナウンスされた時、一瞬躊躇したものの・・・うん・・・ちょっと聴いてみようとつぶやいていた。もしかしたら、「ドライブ・マイ・カー」がアカデミー賞・国際長編映画賞を受賞していたからかもしれない。あるいは、村上春樹がどんな文章を書くのかに興味があったからなのかもしれない。

Hands off my tags! Michael GaidaによるPixabayからの画像 

 朗読は俳優の勝村政信。この名前は初めて聞いた。知らない人の朗読の方が、変なイメージがなくていいのかもしれない。NHKで朗読するからには、それなりの実力と知名度があるのだろうが。


途切れ途切れでも最後まで聴きたいと思わせる文章

 太平洋を臨む交差点で止まった。台風が近づいているためか、空は重くどんよりと灰色をしている。波もかなり高い。出だしは、女性の運転についてだ。男性だと緊張しないのだが、女性の運転だと、「円滑ではない」空気が伝わってくるのだと主人公の「家福」が語る。この家福という姓。何の説明もなく最初の文に出てくる。音だけだと一瞬戸惑う。文章でもちょっと違和感があるが、鈴木とか佐藤のようなありふれた姓では面白くないし、読者に疑問を抱かせるという意味では成功しているかもしれない。

 そんな家福の運転にまつわる男女観を説明されたあと、「若い女性の専属ドライバー」みさきを修理工場の経営者から推薦される場面になる。そのやりとりを聴いているうちに、わたしは村上春樹のわかりやすい文章で造る深い世界に引き込まれていった。

  そう、家福とみさきの会話はなかなか難しい。言葉や文はそれほど難しくないのだが、家福の複雑な心境がそのやりとりに表れている。みさきに説明するという設定で、高槻との会話も結構分量がある。

 途中、仕事のためにたびたび話は途切れた。でも、わたしは最後まで聴こうとしていた。そんな味のある文章と朗読だった。

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