「忍ぶ川」三浦哲郎が1960年下半期の芥川賞を受賞しました。その選評のなかで宇野浩二だけが、かなり辛口でした。
名前は知っていましたが、彼の書いたものは読んだことがありませんでした。これだけ辛い評価をする宇野浩二は一体どんな文章を書くのだろうとちょっと気になりました。ウィキペディアを見ると、ちょっとどろどろした私小説が多いようです。青空文庫に彼の随筆が収められているので読んでみました。「質屋の小僧」と「質屋の主人」という連作の随筆です。その作品紹介の前に、宇野浩二のプロフィールを見ておきましょう。
宇野浩二のプロフィール
1891年(明治24年)7月26日福岡市生まれ - 1961年(昭和36年)9月21日死去。
早稲田大学英文科中退。『蔵の中』『苦の世界』など、おかしみと哀感のある作品を独自の説語体で発表し、文壇に認められた。その後『山恋ひ』『子を貸し屋』などで作風の幅を広げた。(wikiより) https://x.gd/zT1X7
芥川龍之介、佐藤春夫などと親交があり、芥川賞第6回から選考委員を務めました。
あらすじ
「質屋の小僧」では、宇野浩二が質屋に出入りしなければならなくなった事情が母親の様子に絡めて語られていきます。随筆なので、おおむね経験に基づいて書かれていると思われます。高山というその質屋には番頭や小僧たちがいるのですが、その最年少が宗吉です。時の経過と共に、人が入れ替わり宗吉が一番番頭になります。長い付き合いになるのに、宗吉は宇野に対して気安くは話しません。実は宗吉は文学青年になっており、自分の書いたものを宇野先生に見てもらいたいのです。宇野は原稿を見ます。宗吉は「有島武郎を下手に真似たような」文章で「大学生がその下宿している娘との恋を描いたものとか或るひは新思想の女学生が駈落をしようと決心する心理を書いたものとか、等、甚だ無味な空虚なもの」でした。宇野は大まじめに「これは、君、いかんよ」と言います。そして、もっと正直に自分の見たものを、自分の感じた通りに書くんだ」とアドバイスします。ここで宇野浩二が宗吉に教えたことは、小説の作法の前に、まず写実すること、そしてそこに自分の感じたことをのせた文章を書くようにということでしょう。文学青年に対してなかなか基本的なアドバイスです。
ところが、実のところ、宗吉は自分が質屋の店頭で見聞きしたことを素直に写実したものも書いているのでした。それで、宇野は「今度ついでがあつたら、その方を見せ給へ」と言います。すると、宗吉は言いにくそうに「ですけど、先生、その方だと、先生や、広津先生やが出てきますので・・・・」
短編小説の落ち
正直に言うと、この随筆の取っ掛かりでは、悲しい様子は分かるけど、何かさえないなあという感じでした。しかし、小僧が、番頭になり、実は文学を志しているがゆえに宇野に対して、ぎこちなく接しているというあたりになると、エッセイというより、やはり一片の物語の中に入り込んでいくような感覚にとらわれました。そして、最後に、これまでの宇野の質屋通いもしたためられているのだという顛末に至ると、見事な短編小説の落ちとなっているのです。そうなると、次の「質屋の主人」は何としても読まなければ済まないという心持ちになるのです。
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