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映画 堂堂たる人生 (1961) 石原裕次郎主演

Wolfgang EckertによるPixabayからの画像

概要

原作 源氏鶏太
1961年公開の映画(日活)
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老田(おいた)玩具に勤める中部周平(石原裕次郎)と同僚の紺屋小助(長門裕之)の二人が可愛くてちょっと気の強い下町娘いさみ(芦川いづみ)と、苦難を切り抜けて会社の危機を救う様子を温かいユーモアで描く痛快作。

監督 牛原陽一
主演 石原裕次郎 (中部周平)
   芦川いづみ (石岡いさみ)
   長門裕之 (紺屋小助)
   東野英次郎 (原大作)
   中原早苗 (弘子)
   宇野重吉(老田玩具社長)
   藤村有弘(興和玩具支店長)

あらすじ

老田玩具は倒産の危機に瀕しています。200万円がないばかりに不渡りを出しそうなのです。モテモテ男の中部周平は会社でも信頼されており、金策ため小助と一緒に大阪の興和玩具に行くことになります。BG(Business Girl 当時会社勤めをする女性をこう呼んでいた)にどうしてもなりたいいさみは、金策がうまく行ったら雇ってもらうと勝手に決めていました。三人は寝台特急の食堂で中部の大学時代の友人に会います。彼はガスの研究をしていますが、画期的な発明になりそうです。いさみはそれをXYZガスと名付け、玩具に応用できないかと考えます。中部はそれにヒントを得て、アイデアを練りますが、そこにいろいろな騒動が勃発します。中部は男気と正義感で周囲を少しずつ動かしていきます。

見どころ

源氏鶏太の持ち味、サラリーマンたちのゆかいな生き様が生き生きと描かれています。主演の中部(石原裕次郎)がだれにでも好かれるモテモテ男という設定です。日活の看板スターなので営業上やむを得ないのでしょうが、すこしもの足りなくも感じます。実際には、そこまでうまくはいかないだろうという感じるところが多々あります。ただ、これが源氏鶏太の人物像の基本なので、原作に忠実であるとも言えます。「英語屋さん」でもふれたように、源氏鶏太は善意の人々、人間の温かい部分に焦点を当てています。たとえば、藤村有弘が演じる興和玩具支店長は中部の金策を阻むべく画策しますが、悪意は感じられません。むしろ、中部の才能を買っていて、興和玩具に引き抜こうとしています。中部にほれているバーのホステス弘子(中原早苗)はいつみの出現に怒って、中部をひっぱたきますが、支店長の策略を知ったのち、いつみに電話をして中部をサポートするよう促します。つまり、源氏鶏太は人にはみな温かい血と思いが流れているのだと信じているのでしょう。いや、信じたいのでしょう。そう信じたいから、冷たくて、残酷な部分は描けないのではないでしょうか。

主演に勝るとも劣らぬ好感度・長門裕之

本作では裕次郎の引き立て役に回っている長門裕之ですが、中年以降のいやみな役回りしか観たことがないせいか、とても好感の持てるキャラクターに感じました。今の役者さんで言うと、「半沢直樹」の及川光博のようです。長門演じる小助もいつみを射止めたいのに、いつみは中部にしか関心がありません。現実には、ふつうには振る舞いにくくなるものですが、小助は親友の中部を決して裏切らない、むしろ応援する「善過ぎる人」です。この時期、長門裕之が他の作品でどんな演技をしていたのか、もっと観たくなりました。

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