忘れてほしくない作家・源氏鶏太
近年、あまり注目されていないけど、何となく忘れてほしくない作家がいます。
そういう作家の一人が源氏鶏太です。
今回は、その源氏鶏太の代表作のひとつ「英語屋さん」を紹介します。
角川文庫 「初恋物語」に収録
1951年 (昭和26年) 本作と『台風さん』『御苦労さん』によって著者は直木賞を受賞しています。
「英語屋さん」の あらすじ
「英語屋さん」の茂木さんは57歳。奥さんを戦争中に亡くしています。英語の実力はあるものの、会社では嘱託にすぎません。だれに対しても挑むような態度で質問し、かみつくため敬遠されています。風間京太(彼は本作以外にも登場してくるシリーズの中心人物で、本作も彼の視点で書かれています)もそんな茂木さんを「いやな爺さん」と思っていたのですが、申請書の英訳と通訳をしてもらって茂木さんを見直します。そのときのやり取りから、京太は無理やり茂木さんの子分にされてしまいます。茂木さん行きつけの飲み屋「平六」で親分子分の盃を交わすのですが、茂木さんはとても喜んで、飲みながら身の上話を始めます。しこたま飲んだ茂木さんは、ひとりでは帰れなくなり、京太が送っていくことになります。しかし、京太は茂木さんの家を知らないため、色っぽい未亡人のおかみが同乗していくことに … (これから本作をお読みになりたい方はここから「著者について」にジャンプしてください)
実は、おかみは戦後、生活に困っていた時期に、茂木さんの家に住まないかと誘われたことがありました。その話は茂木さんの失礼な言い方によっておじゃんになってしまいます。さて課長待遇の尾田さんが茂木さんとはちがうタイプのサラリーマンとして登場します。その尾田さんは平六で茂木さんと喧嘩をします。茂木さんは、椅子から落ちて頭にけがをしてしまいます。尾田さんは茂木さんとは対照的に鷹揚な人柄で人望があります。そんなふたりが平六でおかみさんに気に入られようとして、相手の悪口を言いだして、見苦しい言い争いになったのです。見舞いに行った京太に対して茂木さんは、おかみが初恋の人に似ているのだと話し始めます。京太は、おかみにはパトロンがいるはずだから脈はないと話します。そんな折、めったに家に寄りつかない茂木さんの息子がやって来ます。可愛い女の子を連れており、結婚したいと言いだしたのです。息子は絵が入選したので、これを機に家に戻りたいというが、茂木さんはそんな息子を一蹴してしまいます。茂木さんは会社を三日休みましたが、出社するといきなり解雇辞令を渡されます。平六での喧嘩によって会社の名誉を傷つけたという理由です。しかも、重役は茂木さんくらいの英語なら、若手でも使えるから君には辞めてもらいたいと言います。茂木さんは、断固として辞令を受け取らず、出社を続けます。そんな茂木さんを会社の同僚たちは、何となく頼もしく感じるようになります。恋敵の尾田さんまでが茂木さんを応援するようになります。そうこうしているうちに、英語での重要な交渉が始まります。茂木さんは、もちろん通訳ではありません。しかし、交渉相手が茂木さんの通訳を望んだため、重役はあわてて茂木さんを呼びに来ます。それに応えて立ち上がる茂木さんは、水を得た魚のように颯爽として見えたのでした。
著者について
源氏鶏太(1912 明治45 -1985
昭和60) 富山県出身。昭和5年から昭和31年までサラリーマンをしながら、小説を執筆。
自身の体験に基づくユーモアのある内容で人気を博しました。「サラリーマン小説の第一人者」と言えます。戦前も懸賞小説を書いていましたが、戦後、生活のために本腰を入れて書くようになりました。1947年の「たばこ娘」が初めて文壇に登場した作品です。そして、1951年本作と他の2作で直木賞を受賞しました。1958年より直木賞の選考委員を務めました。80作ほどが映画化されています。
この作品の時代背景
本作は1951年(著者39歳)に発表されているので、源氏鶏太がまさにサラリーマンをしている時期に書かれています。茂木さんのモデルとなっている人物は実在の人物のようですので、風間京太が源氏鶏太自身なのでしょう。戦後の混乱がまだ続いている時期ですが、それでもおかみが路頭に迷っていた時期を乗り越え、お店を再開していますので、舞台は執筆時期そのまま(1950年前後)と考えられます。尾田さんの引き揚げの様子や会社に給仕の少年がいるあたりが、今の若い読者にはよくわからないかもしれません。そういう意味では、戦後のサラリーマンの様子を知る貴重な作品群のひとつです。
何が心にふれるのか
改めて読み返してみると、この「英語屋さん」茂木さんは頑固で困り者なのですが、それを描いている著者と作中の周囲の人たちの温かさが伝わってきます。何かすごく特別な落ちがあるわけではありません。話の展開も常識的なのですが、読者の共感をさそいます。職員と嘱託の違いなどは、現在の正社員と非正規・派遣などの違いに共通する不公平感がにじんでいます。著者は正社員として会社でもある程度の地位を得ていたので、実生活においても風間京太のように温かい目で人々を観察していたのでしょう。そんなありふれた日常をユーモアとペーソスで切り取っていく。だれもが、ほっとできるところが本作と源氏鶏太のサラリーマン小説の魅力なのです。
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