スキップしてメイン コンテンツに移動

源氏鶏太「英語屋さん」戦後の混乱期を生きるサラリーマンのユーモアとペーソス

忘れてほしくない作家・源氏鶏太

近年、あまり注目されていないけど、何となく忘れてほしくない作家がいます。
そういう作家の一人が源氏鶏太です。

毎日新聞社「昭和史 第14巻」より。, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15136479による


今回は、その源氏鶏太の代表作のひとつ「英語屋さん」を紹介します。

角川文庫 「初恋物語」に収録 
1951 (昭和26) 本作と『台風さん』『御苦労さん』によって著者は直木賞を受賞しています。



 「英語屋さん」のあらすじ

「英語屋さん」の茂木さんは57歳。奥さんを戦争中に亡くしています。英語の実力はあるものの、会社では嘱託にすぎません。だれに対しても挑むような態度で質問し、かみつくため敬遠されています。風間京太(彼は本作以外にも登場してくるシリーズの中心人物で、本作も彼の視点で書かれています)もそんな茂木さんを「いやな爺さん」と思っていたのですが、申請書の英訳と通訳をしてもらって茂木さんを見直します。そのときのやり取りから、京太は無理やり茂木さんの子分にされてしまいます。茂木さん行きつけの飲み屋「平六」で親分子分の盃を交わすのですが、茂木さんはとても喜んで、飲みながら身の上話を始めます。しこたま飲んだ茂木さんは、ひとりでは帰れなくなり、京太が送っていくことになります。しかし、京太は茂木さんの家を知らないため、色っぽい未亡人のおかみが同乗していくことに … (これから本作をお読みになりたい方はここから「著者について」にジャンプしてください

実は、おかみは戦後、生活に困っていた時期に、茂木さんの家に住まないかと誘われたことがありました。その話は茂木さんの失礼な言い方によっておじゃんになってしまいます。さて課長待遇の尾田さんが茂木さんとはちがうタイプのサラリーマンとして登場します。その尾田さんは平六で茂木さんと喧嘩をします。茂木さんは、椅子から落ちて頭にけがをしてしまいます。尾田さんは茂木さんとは対照的に鷹揚な人柄で人望があります。そんなふたりが平六でおかみさんに気に入られようとして、相手の悪口を言いだして、見苦しい言い争いになったのです。見舞いに行った京太に対して茂木さんは、おかみが初恋の人に似ているのだと話し始めます。京太は、おかみにはパトロンがいるはずだから脈はないと話します。そんな折、めったに家に寄りつかない茂木さんの息子がやって来ます。可愛い女の子を連れており、結婚したいと言いだしたのです。息子は絵が入選したので、これを機に家に戻りたいというが、茂木さんはそんな息子を一蹴してしまいます。茂木さんは会社を三日休みましたが、出社するといきなり解雇辞令を渡されます。平六での喧嘩によって会社の名誉を傷つけたという理由です。しかも、重役は茂木さんくらいの英語なら、若手でも使えるから君には辞めてもらいたいと言います。茂木さんは、断固として辞令を受け取らず、出社を続けます。そんな茂木さんを会社の同僚たちは、何となく頼もしく感じるようになります。恋敵の尾田さんまでが茂木さんを応援するようになります。そうこうしているうちに、英語での重要な交渉が始まります。茂木さんは、もちろん通訳ではありません。しかし、交渉相手が茂木さんの通訳を望んだため、重役はあわてて茂木さんを呼びに来ます。それに応えて立ち上がる茂木さんは、水を得た魚のように颯爽として見えたのでした。

著者について

源氏鶏太(1912 明治45 -1985 昭和60) 富山県出身。昭和5年から昭和31年までサラリーマンをしながら、小説を執筆。

自身の体験に基づくユーモアのある内容で人気を博しました。「サラリーマン小説の第一人者」と言えます。戦前も懸賞小説を書いていましたが、戦後、生活のために本腰を入れて書くようになりました。1947年の「たばこ娘」が初めて文壇に登場した作品です。そして、1951年本作と他の2作で直木賞を受賞しました。1958年より直木賞の選考委員を務めました。80作ほどが映画化されています。

この作品の時代背景

本作は1951(著者39)に発表されているので、源氏鶏太がまさにサラリーマンをしている時期に書かれています。茂木さんのモデルとなっている人物は実在の人物のようですので、風間京太が源氏鶏太自身なのでしょう。戦後の混乱がまだ続いている時期ですが、それでもおかみが路頭に迷っていた時期を乗り越え、お店を再開していますので、舞台は執筆時期そのまま(1950年前後)と考えられます。尾田さんの引き揚げの様子や会社に給仕の少年がいるあたりが、今の若い読者にはよくわからないかもしれません。そういう意味では、戦後のサラリーマンの様子を知る貴重な作品群のひとつです。

何が心にふれるのか

改めて読み返してみると、この「英語屋さん」茂木さんは頑固で困り者なのですが、それを描いている著者と作中の周囲の人たちの温かさが伝わってきます。何かすごく特別な落ちがあるわけではありません。話の展開も常識的なのですが、読者の共感をさそいます。職員と嘱託の違いなどは、現在の正社員と非正規・派遣などの違いに共通する不公平感がにじんでいます。著者は正社員として会社でもある程度の地位を得ていたので、実生活においても風間京太のように温かい目で人々を観察していたのでしょう。そんなありふれた日常をユーモアとペーソスで切り取っていく。だれもが、ほっとできるところが本作と源氏鶏太のサラリーマン小説の魅力なのです。



 

コメント

このブログの人気の投稿

短篇作家の仕事 阿部昭

「短篇作家の仕事」とは 阿部昭のエッセイ集「散文の基本」に収録されている短編小説に関する考察です。 有名な作家たちの言葉や作品を例にあげて、短篇作家のすべき仕事とは何かを論じています。短編小説を読むのが好きな人、書く人に役立つ内容です。 短編小説とは何か  阿部昭は短「編」ではなく「篇」を使っています。ここでは、一般に「編」が用いられているので、引用部分以外では「編」を用いています。  阿部昭は「短編小説」について、まずこう述べています。 「私自身、その短篇らしきものものをいくつも書きながら、短篇小説の定義などは知りもしないし、知ろうとしたこともない。結局のところ、短篇は他のどんなジャンルよりも発想や展開において、また構成や叙述において自由で柔軟なものだ、といった程度の実感を抱いているにすぎない」  オチがなければいけない、起承転結を持っているべきだというようなルールは必要なく、短い時間で読者を楽しませることができるのがよいのだ。それが要旨となっています。個々の作家が自分なりの作法を持っているのも事実ですが、もっと自由な形式でよいと阿部は考えています。わたしもだいたい同じ考えです。要は、分量が多ければ長編だし、短いから短編小説ということでいいのです。名短篇を残した菊池寛の文章を阿部は引用しています。 「人間の世界が繁忙になり、籐椅子に倚(よ)りて小説を耽溺し得るような余裕のある人が、段々少くなった結果は、五日も一週間も読み続けなければならぬような長篇は、漸く廃れて、なるべく少時間の間に纏(まと)まった感銘の得られる短篇小説が、隆盛の運に向ふのも、必然の勢であるのかも知れない」  生活が忙しくなってきたので、短編小説がはやるのは必然だというのが菊池寛の観察ですが、読者の読むスタミナが全体的になくなってきているとも言えます。これはSNS全盛の今はさらに顕著で、ショートショートよりもさらに短い140字小説(1ツイートに収まる)なども見られます。短いから書きやすいという訳ではないでしょうが、短いからすぐに読み終えられるのは事実です。 短篇作家の仕事とは人生を描くこと  さて、このエッセイでは「短篇作者の仕事とは何か」ということを最後にまとめています。その答えとして、チェーホフの「作家の仕事は問題を解決することではない。この人生をただあるがままに描くことだ」という言葉をあげて...

映画 堂堂たる人生 (1961) 石原裕次郎主演

Wolfgang Eckert による Pixabay からの画像 概要 原作 源氏鶏太 1961年公開の映画(日活) Prime videoなら無料で観られます。(Prime会員特典) 老田(おいた)玩具に勤める中部周平(石原裕次郎)と同僚の紺屋小助(長門裕之)の二人が可愛くてちょっと気の強い下町娘いさみ(芦川いづみ)と、苦難を切り抜けて会社の危機を救う様子を温かいユーモアで描く痛快作。 監督 牛原陽一 主演 石原裕次郎 (中部周平)    芦川いづみ (石岡いさみ)    長門裕之 (紺屋小助)    東野英次郎 (原大作)    中原早苗 (弘子)    宇野重吉(老田玩具社長)    藤村有弘(興和玩具支店長) あらすじ 老田玩具は倒産の危機に瀕しています。200万円がないばかりに不渡りを出しそうなのです。モテモテ男の中部周平は会社でも信頼されており、金策ため小助と一緒に大阪の興和玩具に行くことになります。BG(Business Girl 当時会社勤めをする女性をこう呼んでいた)にどうしてもなりたいいさみは、金策がうまく行ったら雇ってもらうと勝手に決めていました。三人は寝台特急の食堂で中部の大学時代の友人に会います。彼はガスの研究をしていますが、画期的な発明になりそうです。いさみはそれをXYZガスと名付け、玩具に応用できないかと考えます。中部はそれにヒントを得て、アイデアを練りますが、そこにいろいろな騒動が勃発します。中部は男気と正義感で周囲を少しずつ動かしていきます。 見どころ 源氏鶏太の持ち味、サラリーマンたちのゆかいな生き様が生き生きと描かれています。主演の中部(石原裕次郎)がだれにでも好かれるモテモテ男という設定です。日活の看板スターなので営業上やむを得ないのでしょうが、すこしもの足りなくも感じます。実際には、そこまでうまくはいかないだろうという感じるところが多々あります。ただ、これが源氏鶏太の人物像の基本なので、原作に忠実であるとも言えます。 「英語屋さん」 でもふれたように、源氏鶏太は善意の人々、人間の温かい部分に焦点を当てています。たとえば、藤村有弘が演じる興和玩具支店長は中部の金策を阻むべく画策しますが、悪意は感じられません。むしろ、中部の才能を買っていて、興和玩具に引き抜こうとしています。中部にほれているバーのホステス弘子(中原早苗)はい...

太宰治 如是我聞 あらすじと見どころ

如是我聞とは 1948 雑誌「新潮」に4回にわたって掲載された太宰治の最後の随筆。 如是我聞は【にょぜがもん】と読みます。 太宰治は1909年(明治42年)6月19日生まれ。1948年(昭和23年)6月13日38歳で死去。 本作は6月5日に第4部が筆記されました。最終行で「いくらでも書くつもり」と結んでいるので、まだまだ書く意欲はあったことは明らかです。未完成の遺稿となりました。 By Shigeru Tamura - https://images.wook.pt/getresourcesservlet/GetResource? Public Domain, 本作の意義 志賀直哉に対する反論と批判がかなり強い調子で書かれています。さらに、実名こそ挙げられていませんが、彼の作品を批判していた他の作家・文学者たちへの辛辣な批判はかなり強烈で、病的にすら感じられます。ただ、その中で太宰が小説家として何を目指していたのかも明らかにされています。全体的に怒りに満ちていますが、かなり具体例を挙げての反論・批判ですので、別れを暗示させる響きはありません。太宰が目指していたものは何か。それを考察してみましょう。 第1部 『自分は、この十年間、腹が立っても、抑えに抑えていたことを、これから毎月、この雑誌(新潮)に、どんなに人からそのために、不愉快がられても、書いて行かなければならぬ、そのような、自分の意思によらぬ「時期」がいよいよ来たようなので、様々の縁故にもお許しをねがい、或いは義絶も思い設け、こんなことは大袈裟とか、或いは気障とか言われ、あの者たちに、顰蹙せられるのは承知の上で、つまり、自分の抗議を書いてみるつもりなのである。』 これまで10年間、我慢してきたことを書いていくという決意表明です。「義絶も思い設け」という所が引っ掛かります。師である井伏鱒二と関係を絶つ可能性を予見しているようです。 第2部 冒頭で太宰は聖書のマタイ23章4節から15節を引用しています。イエス・キリストが偽善者である律法学者とパリサイ人たちを強く断罪している部分です。太宰を面と向かってはほめるのに、雑誌などでは心なく批判し、こき下ろす文学者たちが、偽善者である語学教師であると断罪しているのです。その中で、太宰は 『文学に於て、最も大事なものは「心づくし」というものである』 と述べています。それは、『料...