三浦哲郎の念願
三浦哲郎は学生時代に小説の習作を始めました。井伏鱒二に師事と「新国語便覧」(文英堂)にはあります。私小説の短編の名手と言えるでしょう。その三浦はこう書いています。「たとえ一篇でも、二篇でも、よい短編小説を世に遺したいという願いを持つようになった。その気持はいまも変わらない」。
「ただ、一篇の長さについては、すこしずつ考えが変わってきている。最初は30枚できちんとしたものをというのが念願であった」。原稿用紙1枚は400字が標準なので、12,000字ということになります。文庫本は1ページ600字が標準なので、20ページくらいの作品ということです。本を読むのが速い人なら、すぐに終わってしまいそうな長さです。ちなみに芥川賞受賞作の「忍ぶ川」は74枚です。最初は、30枚できちんとしたものを念願としていましたが、徐々にもっと短いもの20枚くらいが適量になりました。そして、この「モザイク」では、10枚くらいになっています。
しっかりと腰を据えて読みたい
短編小説としては、切り詰めていくと、最終的にそのくらいになるのかなという感じです。ただ、ショートショートや、それよりも短いものも今はたくさん書かれています。SNSで短い文章があたりまえの状況になっている今なら、三浦は何と言うのでしょうか。
長さに関係なく、小説には読者に情景を思い浮かべさせるような描写が必要でしょう。テーマが展開していくプロットもあります。三浦の書いたものは暇つぶしに娯楽として読むというようなものではありません。短いながらも、しっかりと腰を据えて読み進めていくような慎重さが求められます。やはり、思ったことをそのまま伝えていくような昨今の傾向とは全く異なっています。
「忍ぶ川」から始まった旅の終わり
いずれにしても、「忍ぶ川」とそれに続く作品で三浦の当初の念願はかないました。今後も読み継がれていくでしょう。この完本短編集「モザイク」の作品群はどうでしょうか。全部で62篇が発表順に並べられています。じっくりと読んで味わいたいものばかりです。
三番目に収められている「とんかつ」は短編小説のお手本と言えるでしょう。読者になぞを提示します。読み進めていくうちに、少しずつそのなぞが安心感に変わります。そして、テーマである「とんかつ」は実は小道具であり、本当は主人公が成長する様が読者に刻み込まれるのです。「忍ぶ川」から始まった三浦哲郎の作家としての旅が、この短編集で見事な終着を迎えるのです。
参考
完本 短編集モザイクのあとがき
新国語便覧(文英堂)
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