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松本清張 小説三億円事件 あらすじと見どころ

新潮文庫 「水の肌」に収録
初出は週刊朝日・昭和50年12/5号から12/12号



背景

 本作の題材となっている「三億円事件」-日本の犯罪史上、迷宮入りした最も有名な事件。1968年(昭和43年)12月10日に発生、7年後に時効を迎えました。日本中がその時効の話題で持ちきりだった、ちょうどその時期に発表されたのが本作です。
 東芝のボーナスを運ぶ銀行の現金輸送車を白バイに偽装して強奪したのですが、ひとりのけが人もありませんでした。犯行に至る綿密な工作もあいまって、アルセーヌ・ルパンを思わせるような「鮮やかな」犯罪と捉えられていました。

あらすじ

 そんな鮮やかでだれも傷ついていない犯罪ですが、損害保険会社は被害を被っていました。そして、その保険会社の依頼を受けた探偵事務所長が事件を再調査するという設定で推理を組み立てていきます。松本清張ならではの卓抜な設定と推理です。
 「小説」と銘打っているので、虚構の部分が多いと思われますが、読み進めていくうちに、ひょっとしてこれが真相かもしれないと思わせる推理の組み立てと展開は見事です。
 語り手である探偵事務所の所長「わたし」は事件の真相を知る必要があります。刑事事件としては時効が成立しても、損害保険会社が犯人に損害賠償を請求できる期間が、まだ13年も残されているからです。事件に至るまでの関連する脅迫、窃盗の事例が時系列に挙げられていきます。そして、当日の犯行の状況と捜査の展開が説明されます。犯人は、土地勘に優れ、自動車・バイクを巧みに乗りこなします。しかし、ここまで鮮やかに成功するには単独犯とは考えにくいと推理していきます。
 警察は、事件の1週間後に自殺した22歳の若者がかなり怪しいにもかかわらずシロと判断します。わたしは、その若者、浜野健次の義兄が警備会社に勤めていること。義兄の伯父が警備会社の社長であり、元警察官僚であることを突き止めます。そして、何と健次が自殺する時に服用した青酸カリは・・・・ここから先は、ぜひ本作をお読みください。

ドラマ化

この作品は2014年にテレビ朝日開局55周年記念でドラマ化されています。
主演は田村正和で、アメリカの保険会社の査定部長です。小説には全く登場しない女性がドラマに味わいを持たせます。それは、田村正和の母を演じる奈良岡朋子と健次(手越祐也)の恋人役の北乃きいです。健次の姉を演じる板谷由夏も冷たい凄みをうまく出していました。時代背景を忠実に再現するためのこだわりが随所に見られました。ぜひDVD化してほしい作品です。

コメント

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