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源氏鶏太 「大出世物語」 短編小説の手本のような爽快さ

角川文庫 「大出世物語」に収録されている同名の短編小説。
1960(昭和35) 7月・週刊朝日別冊に初出。



あらすじ

主人公の六さんは亀戸の十省印刷に出入りしている屑やです。それも、正式に仕事を請け負っているわけではなく、裏口で雑用をしている社員たちの好意で、清掃をして屑物をもらっていくのです。発送で使う縄、針金、板、ボール紙の残りだけでなく、不良の印刷物や断裁した紙の残りなど、換金すればかなりの額になるであろう資源ごみをただでもらうのです。六さんはこの仕事を続けるために、朝から晩まで丸椅子に腰掛けて待機しています。社員たちは、六さんに雑用を頼んで、見下げていますが、六さんは彼らの黙認がなければ、仕事が出来ないので、いやな顔もせずに雑用をこなします。盆暮れには付け届けまでしています。六さんはしっかり小金を貯め込み、雑用を束ねている社員が退職する時には、まとまったお金まで払います。それで、その社員は、後継の社員にも「六さんをよろしく頼む」と引き継いであげるわけです。
そんな、六さんが恋をします。その会社にやはり勝手に出入りしている闇屋の広子が好きになったのです。広子は六さんを小ばかにしていますが、小金を貯め込んでいることを知り、結婚してやってもいいかもと思うようになります。

時代背景

作中に十省印刷が出来たのは昭和23年。六さんは、この頃から来ているようだという記述があります。広子が出入りするようになったのは、昭和27年頃。そして、物語の終盤で六さんは10年以上、この会社から屑物をもらってきたと言っています。つまり、戦後まもない混乱期から闇屋商売が終わり、高度成長期にはいる昭和35年くらいまでを描いていることになります。

見どころ

この作品は「大出世物語」というタイトルゆえに、六さんがどんな出世をするのだろうと読者は期待して読み進めることになります。その六さんは一見さえないおじさんですが、なぜか喧嘩も強いのです。そして、ヒロインである広子とは、すんなり結ばれるわけではありません。そんな六さんが、最後は本当に「大出世」する。しかも、読者の予想しない展開を迎えます。物語の設定、登場人物の描き方、単純に進まない話、読者の期待をいい意味で裏切る意外性。短編小説のお手本と言えます。源氏鶏太はサラリーマン小説の優れた書き手ですが、彼の作品の骨格と展開は自分でも短編小説を書いてみたいなと思わせる爽快さがあります。もちろん、この種の小説を作り上げることは、思っているほど簡単なことではありませんが。


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