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イエスタデイ 村上春樹 あらすじ、見どころ、そしてうんちく

あらまし

短編小説集「女のいない男たち」(2014年3月刊行)の2番目に収録されている小説。
この「イエスタデイ」は、ビートルズの有名な曲のタイトルから取られています。そして、同時に主人公である僕(谷村)のイエスタデイでもあります。
 この短編集巻頭の「ドライブ・マイ・カー」とは内容のつながりは全くありません。「ドライブ・マイ・カー」は主人公の家福が、妻の大事な部分を知らないまま死別したことで「女のいない」喪失感と闘っています。それを不器用に聞きながら、少しずつ心を開いていくみさきの「女らしさ」が少しだけ顔をのぞかせます。話としてはまだ続けられそうですが、作者は「女のいない」状態で終わらせています。本作「イエスタデイ」には主人公の谷村、友人の木樽、木樽の恋人である栗谷えりかが登場します。そして「女のいない男たち」というテーマは共通しています。

あらすじ

 僕(谷村)の友人である木樽は、ビートルズの「イエスタデイ」を関西弁の歌詞で歌う風変わりな男です。ふたりは早稲田の正門近くの喫茶店のアルバイトで知り合いました。僕は芦屋出身で、早稲田大学文学部の二年生です。一方、木樽は浪人生。しかし、木樽は受験勉強を全くせず、関係のない本ばかり読んでいます。完璧な関西弁を話していますが、実は生まれも育ちも田園調布です。それなのに、大阪の天王寺にホームステイして関西弁をマスターしたことを僕に説明します。僕は東京に出て来てから、関西弁を使わなくなりました。
 木樽には小学生の時から付き合っている幼なじみの女の子がいます。栗谷えりかです。上智大学の仏文科でテニス同好会に入っています。彼女は『思わず口笛を吹きたくなるくらいきれいな女の子』で、『スタイルもよく、表情が生き生きして』います。そんなすてきな子なのに、木樽は大学に合格するまでは交際を控えることにします。しかも、突然『なあ、谷村、・・・彼女とつきおうてみる気はないか?』と言い出します。僕は、木樽がどうしてそんなことを言い出したのかよく理解できませんが、『人目を惹く美人』に会ってみることにします。

Kevin Kleberによる写真: https://www.pexels.com/ja-jp/photo/13005057/

見どころ

 僕は、作者である村上春樹の分身なのでしょう。ビートルズのうんちくをたっぷり語っています。まえがきで村上自身が述べていますが、「イエスタデイ」の歌詞の扱いについて著作権代理人から『示唆的要望』を受け、かなり書き換えたようです。その創作された関西弁の歌詞は話の筋に大きな影響を及ぼすほどのものではありませんが、「イエスタデイ」の歌詞を関西弁の歌詞に、しかも意味をもたないナンセンスな歌詞にするという発想は、なかなかユニークです。「イエスタデイ」は一般的には作詞ジョン・レノン、作曲ポール・マッカートニーと表記されています。僕は、『作詞作曲したのはポールだ・・・(これは)蘊蓄(うんちく)じゃない。世界中によく知られている事実だ』と木樽に力説しています。このあたりは、ビートルズに詳しい人にはよく知られていることですが、さすがに『世界中によく知られている事実』というのは少し無理があるでしょう。そして、僕ほどにはビートルズに詳しくない木樽が『オブラディ・オブラダ』とビートルズの曲名を会話に差し挟むに至っては、苦笑するしかありません。ちなみに、木樽という苗字について、ロッテ・オリオンズに同じ姓のピッチャーがいたというくだりがあります。これも当時のプロ野球に関心のあった人には聞き覚えのある苗字なのですが、50より若い読者にはほとんどなじみがないでしょう。木樽正明投手がロッテで活躍したのは、1966年から1977年までです。
 このように、本作を正確に理解するには、少し注釈が必要です。しかし、話の流れは興味深いので、読者は「うんちく」がすっーと理解できなくても、物語の展開にぐっと引き寄せられていくでしょう。

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