初出 大正14年(1925年)1月 同人誌「青空」
短編小説 発表時にはあまり注目されなかったが、死後高い評価を受けます。
長い間、多くの人に読まれてきた短編小説です。若者の得体のしれない不安、京都を舞台にしているものの現実と想像を行き来する焦燥、嫌悪、享楽の感情を描いています。
あらすじ
私は得体の知れない不吉な塊に始終おさえつけられていました。京都から逃げ出して、だれも知らない街に行きたいのです。まるでお金はないのですが、ちょっとした贅沢が慰めとなります。と言っても二銭、三銭のものですが。生活がまだ蝕まれていなかった頃は丸善が好きでした。そこで、赤や黄のオーデコロン、琥珀色やひすい色の香水壜、石鹸などを小一時間も見るのですが、結局のところ一番いい鉛筆を一本買うだけでした。その丸善も今は重苦しい場所です。
私は友達の下宿を転々としていたのですが、ある日何かに追い立てられるように街にさまよい出ます。そして、寺町の果物屋に足を留めます。その店は妙に暗く、私を引き寄せます。その日は珍しく檸檬を見かけます。それを一つだけ買ってから歩き出すと、なぜか不吉な塊が弛んできたのです。肺結核で熱のある私には檸檬の冷たさも快いものでした。そんなささやかな幸福を感じているうちに、私は丸善にたどり着きます。その丸善の店内で、憂鬱が立ち込めてきます。そのとき、袂の中に檸檬があることを思い出します。そして、その檸檬を・・・。
見どころ
若者ならだれでも味わうであろう漠然とした不安。それを様々な色合いのものから感じる喜びと対比しています。例えば、こんな表現があります。
『私はまたあの花火といふ奴が好きになつた。花火そのものは第二段として、あの安つぽい絵の具で赤や紫や黄や青や、さまざまの縞模様を持つた花火の束、中山寺の星下、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火といふのは一つづつ輪になつていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を唆つた。』
花火そのものよりも、安っぽい絵の具で色採られている束の詰められた様子に心が惹かれていることがわかります。そして、最後に色鮮やかな檸檬が登場します。ただの檸檬ですが、著者はそれをいろいろな感覚で表現しています。
『実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと云いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える』
何の変哲もない檸檬。でも、その檸檬を巡るさまざまな感情と妄想が私を高揚させます。そして、その思いに読者も共感できるのです。
梶井基次郎は31歳で亡くなりました。
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