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短篇作家の仕事 阿部昭

「短篇作家の仕事」とは 阿部昭のエッセイ集「散文の基本」に収録されている短編小説に関する考察です。 有名な作家たちの言葉や作品を例にあげて、短篇作家のすべき仕事とは何かを論じています。短編小説を読むのが好きな人、書く人に役立つ内容です。 短編小説とは何か  阿部昭は短「編」ではなく「篇」を使っています。ここでは、一般に「編」が用いられているので、引用部分以外では「編」を用いています。  阿部昭は「短編小説」について、まずこう述べています。 「私自身、その短篇らしきものものをいくつも書きながら、短篇小説の定義などは知りもしないし、知ろうとしたこともない。結局のところ、短篇は他のどんなジャンルよりも発想や展開において、また構成や叙述において自由で柔軟なものだ、といった程度の実感を抱いているにすぎない」  オチがなければいけない、起承転結を持っているべきだというようなルールは必要なく、短い時間で読者を楽しませることができるのがよいのだ。それが要旨となっています。個々の作家が自分なりの作法を持っているのも事実ですが、もっと自由な形式でよいと阿部は考えています。わたしもだいたい同じ考えです。要は、分量が多ければ長編だし、短いから短編小説ということでいいのです。名短篇を残した菊池寛の文章を阿部は引用しています。 「人間の世界が繁忙になり、籐椅子に倚(よ)りて小説を耽溺し得るような余裕のある人が、段々少くなった結果は、五日も一週間も読み続けなければならぬような長篇は、漸く廃れて、なるべく少時間の間に纏(まと)まった感銘の得られる短篇小説が、隆盛の運に向ふのも、必然の勢であるのかも知れない」  生活が忙しくなってきたので、短編小説がはやるのは必然だというのが菊池寛の観察ですが、読者の読むスタミナが全体的になくなってきているとも言えます。これはSNS全盛の今はさらに顕著で、ショートショートよりもさらに短い140字小説(1ツイートに収まる)なども見られます。短いから書きやすいという訳ではないでしょうが、短いからすぐに読み終えられるのは事実です。 短篇作家の仕事とは人生を描くこと  さて、このエッセイでは「短篇作者の仕事とは何か」ということを最後にまとめています。その答えとして、チェーホフの「作家の仕事は問題を解決することではない。この人生をただあるがままに描くことだ」という言葉をあげて...

映画 堂堂たる人生 (1961) 石原裕次郎主演

Wolfgang Eckert による Pixabay からの画像 概要 原作 源氏鶏太 1961年公開の映画(日活) Prime videoなら無料で観られます。(Prime会員特典) 老田(おいた)玩具に勤める中部周平(石原裕次郎)と同僚の紺屋小助(長門裕之)の二人が可愛くてちょっと気の強い下町娘いさみ(芦川いづみ)と、苦難を切り抜けて会社の危機を救う様子を温かいユーモアで描く痛快作。 監督 牛原陽一 主演 石原裕次郎 (中部周平)    芦川いづみ (石岡いさみ)    長門裕之 (紺屋小助)    東野英次郎 (原大作)    中原早苗 (弘子)    宇野重吉(老田玩具社長)    藤村有弘(興和玩具支店長) あらすじ 老田玩具は倒産の危機に瀕しています。200万円がないばかりに不渡りを出しそうなのです。モテモテ男の中部周平は会社でも信頼されており、金策ため小助と一緒に大阪の興和玩具に行くことになります。BG(Business Girl 当時会社勤めをする女性をこう呼んでいた)にどうしてもなりたいいさみは、金策がうまく行ったら雇ってもらうと勝手に決めていました。三人は寝台特急の食堂で中部の大学時代の友人に会います。彼はガスの研究をしていますが、画期的な発明になりそうです。いさみはそれをXYZガスと名付け、玩具に応用できないかと考えます。中部はそれにヒントを得て、アイデアを練りますが、そこにいろいろな騒動が勃発します。中部は男気と正義感で周囲を少しずつ動かしていきます。 見どころ 源氏鶏太の持ち味、サラリーマンたちのゆかいな生き様が生き生きと描かれています。主演の中部(石原裕次郎)がだれにでも好かれるモテモテ男という設定です。日活の看板スターなので営業上やむを得ないのでしょうが、すこしもの足りなくも感じます。実際には、そこまでうまくはいかないだろうという感じるところが多々あります。ただ、これが源氏鶏太の人物像の基本なので、原作に忠実であるとも言えます。 「英語屋さん」 でもふれたように、源氏鶏太は善意の人々、人間の温かい部分に焦点を当てています。たとえば、藤村有弘が演じる興和玩具支店長は中部の金策を阻むべく画策しますが、悪意は感じられません。むしろ、中部の才能を買っていて、興和玩具に引き抜こうとしています。中部にほれているバーのホステス弘子(中原早苗)はい...

太宰治 如是我聞 あらすじと見どころ

如是我聞とは 1948 雑誌「新潮」に4回にわたって掲載された太宰治の最後の随筆。 如是我聞は【にょぜがもん】と読みます。 太宰治は1909年(明治42年)6月19日生まれ。1948年(昭和23年)6月13日38歳で死去。 本作は6月5日に第4部が筆記されました。最終行で「いくらでも書くつもり」と結んでいるので、まだまだ書く意欲はあったことは明らかです。未完成の遺稿となりました。 By Shigeru Tamura - https://images.wook.pt/getresourcesservlet/GetResource? Public Domain, 本作の意義 志賀直哉に対する反論と批判がかなり強い調子で書かれています。さらに、実名こそ挙げられていませんが、彼の作品を批判していた他の作家・文学者たちへの辛辣な批判はかなり強烈で、病的にすら感じられます。ただ、その中で太宰が小説家として何を目指していたのかも明らかにされています。全体的に怒りに満ちていますが、かなり具体例を挙げての反論・批判ですので、別れを暗示させる響きはありません。太宰が目指していたものは何か。それを考察してみましょう。 第1部 『自分は、この十年間、腹が立っても、抑えに抑えていたことを、これから毎月、この雑誌(新潮)に、どんなに人からそのために、不愉快がられても、書いて行かなければならぬ、そのような、自分の意思によらぬ「時期」がいよいよ来たようなので、様々の縁故にもお許しをねがい、或いは義絶も思い設け、こんなことは大袈裟とか、或いは気障とか言われ、あの者たちに、顰蹙せられるのは承知の上で、つまり、自分の抗議を書いてみるつもりなのである。』 これまで10年間、我慢してきたことを書いていくという決意表明です。「義絶も思い設け」という所が引っ掛かります。師である井伏鱒二と関係を絶つ可能性を予見しているようです。 第2部 冒頭で太宰は聖書のマタイ23章4節から15節を引用しています。イエス・キリストが偽善者である律法学者とパリサイ人たちを強く断罪している部分です。太宰を面と向かってはほめるのに、雑誌などでは心なく批判し、こき下ろす文学者たちが、偽善者である語学教師であると断罪しているのです。その中で、太宰は 『文学に於て、最も大事なものは「心づくし」というものである』 と述べています。それは、『料...