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井川意高 「熔ける 再び そして会社も失った」 あらすじと見どころ

 「熔ける 再び そして会社も失った」 

                 ソウルの夜景

著者 井川意高
幻冬舎(2022年6月発行) Kindle Unlimitedでも読めます。



あらまし

井川意高氏はカジノで総額106億8000万円を失い、大王製紙会長を辞任、刑務所に行くことになります。そして、
2016年12月、仮釈放。
2017年10月、刑期満了。
その後、何と再びカジノへ向かいます。リベンジの舞台は韓国ソウルの「WALKERHILL」
3000万円が9億円にまで増えるマジックモーメント(奇跡の時間)を迎えます。
これがどんな結果に至ったのでしょうか。
ギャンブラー井川意高によるバカラ放蕩記であり、現在の心境までが描かれています。
加えて、現会長佐光一派による井川家排除のクーデターがどのようなものかにも触れています。前著から5年が経過しての続編ですが、内容が少しかぶっています。
井川氏は刑務所内でどんな知識を吸収したのか。そして、今は?

あらすじ

序章 賭場 

ソウルのカジノへ。何でまた行っちゃうの?と思いますが、まずは何が起きたのか? 3000万円が9億円に。

第一章 懲役

刑務所で再び勉強をし直す井川氏。そこから出てきたのが、ニーチェの「超人主義」。今の井川氏の言動を理解するには、ここははずせない。僕は同意できませんが。獄中ダイエットは超積極思考。

第二章 出獄

出所後の生活。ワイン、テキーラ、そしてスピリタスへ。

第三章 鉄火

序章をさらに詳しく説明。

第四章 蕩尽

物にこだわる少年時代からつい最近までの物欲の記録。

第五章 暴君

父親・井川高雄氏の暴君ぶりを振り返る。

第六章 修羅

東京地検特捜部の登場から、井川家排除へ。

第七章 回向

父親の晩年と親孝行について。

第八章 終わりに

安倍晋三元首相との交友などが語られます。 

見どころ

超人主義はどこから来たのか

井川氏は収監中に哲学を勉強しようと思い立ちました。第一章に書かれていますが、ニーチェに最も共感したようです。その部分は以下の通り

『キリスト教とは一線を画し、神に代わる存在として自分自身が極限の理想型にまで到達する。「超人」と言うべき領域に達した人間は、もはや人の目なんてまったく気にならない。思うがままに振る舞い、思うがままに生きる。その生き方が誰かから後ろ指をさされるどころか、皆がお手本とする規範になる。「超人」に自分がなれたら最高だと思った。』
p21より 

井川氏の目指す「超人」とはニーチェの哲学の影響だったのです。
自分の思い通りに生きて、規範となれれば、確かに最高ですが、不完全な僕たちは、井川氏も含めて、自分のしたいように生きたら、やっぱり人に迷惑をかけてしまいます。僕は、キリスト教的な倫理観に基づいて、神様から与えられた命を善用する方が優れていると思います。ごみを拾うのだって、嫌ならしなければいいだけの話です。他の人のことを考えて、スタジアムをきれいにする人たちは立派です。むしろ。責められるべきは、そのような人をこき使って搾取する人たちでしょう。

井川氏の現在の心境

「超人主義」には賛同できませんが、『カネと物欲が満たされても人は幸福になれない』(p68)と悟った部分には同意します。同時にバカラからも足を洗ったようで、何よりです。今もツイートで怒りを表明したり、ふつうの人を蹴散らしている井川氏ですが、やはり氏の経験したこと、主張は一読の価値があります。

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