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村上春樹とノーベル文学賞をめぐる話

村上春樹 2023年もノーベル文学賞ならず


2023年も逃す

毎年、今年こそは村上春樹がノーベル文学賞を取るのではないかと期待が高まります。
だが、残念ながら今年も村上春樹は受賞に至りませんでした。受賞したのはノルウェーの劇作家・ヨン・フォッセ氏。2022年はフランスの女性作家・アニー・エルノーさんでした。
マスコミやハルキストたちは、毎年「今年こそは」と大騒ぎするのですが、じつは正式にノミネートされていることは50年間は公表されないんですね。村上春樹は2006年から最有力候補と言われている訳ですが、2056年にならないと2006年に候補に挙がったかどうかもわからないのです。ブックメーカーなどが最有力候補として挙げているので、少なくとも期待値がとても大きいことは間違いありません。

ノーベル文学賞の理念

ノーベル文学賞はどんな作家が受賞するのでしょうか。
『文学の分野において、理想主義の方向性をもつ最も傑出した作品を創作した人物』に授与するようにというノーベルの遺言が基準となっています。しかし、この文言だけでは、抽象的で分かりにくいですね。これまでの受賞理由を見ても、一体何が「理想主義の方向性を持っている傑出した作品」なのかはよくわかりません。これまでの受賞作家たちと比べても、村上春樹は知名度や売り上げにおいては傑出している作家の一人と言えますが、通俗的、娯楽的な要素が強いことがマイナスになっているかもしれません。

村上春樹のこれまでの著作

村上春樹は、日本を代表する小説家・翻訳家です。1979年に『風の歌を聴け』でデビューしてから、多くの作品を発表してきました。その中には、『ノルウェイの森』や『1Q84』などのベストセラーもあります。村上さんの作品は、50ヵ国語以上に翻訳されており、世界的にも高い評価を受けています。代表作と発行部数は以下の通り。
(
村上春樹の売り上げ&発行部数ランキングが気になる|なおひと (note.com)より)

代表作と発行部数

1. ノルウェイの森 1000万部
2. IQ84 860万部
3. 羊をめぐる冒険 247万部
4. ダンス・ダンス・ダンス 227万部
5. ねじまき鳥クロニクル 227万部

村上春樹の可能性

今後、村上春樹がノーベル文学賞を取る可能性はないのでしょうか。
これは、難しい問いです。周囲が毎年騒ぐので、本人も多少意識はしているでしょうが、そもそも狙って取れるような賞ではないでしょう。放っておいて欲しいというのが本音だと思いますし、何物でもないわたしが予想するのもおこがましいのですが、ずばり!
「可能性は大いにある」と見ます。

「可能性あり」なぜか?

その理由を、これまでの日本人受賞者、川端康成(1968)・大江健三郎(1994)の受賞理由などから考察してみます。
まず川端康成の受賞理由は、「日本人の心の精髄を、すぐれた感受性をもって表現、世界の人々に深い感銘を与えたため」となっています。
そして、大江健三郎は、「詩的な想像力によって、現実と神話が密接に凝縮された想像の世界を作り出し、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている」からです。川端康成は日本人の心根、感受性を表現しました。そして、大江健三郎は、その日本人の心根がどのように悩み、苦しんできたかを表現しました。
そして、村上春樹は軽妙で平易な文章で「これまで日本的だと思われてきた日本とはちがう様相」を示しているので、川端・大江とはちがう日本の姿を提示している点が評価される可能性はあります。

ここまで、多くの作品を世に送り出し、多くの人に高く評価されている村上春樹。仮に、ノーベル文学賞を取れないとしても、個人的にはあまり気にしないですけどね。

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