読み書きは生きるだけなら必要ない 人間は、食べて、眠って、恋をして、子供をもうけて、歳を重ねていく。生き物としては、そういう根源的な部分は、だれにでも備わっています。でも、それだけなら、動物とあまり変わらないでしょう 。 人間は動物と大きく異なっている では、人間が動物と大きく異なっているのはどんな点でしょうか。いろいろな点でちがいます。 動物は食べますが、耕したり不必要に蓄えたりはしません。動物も、生殖のために異性と関係を持ちますが、それ以外に楽しみのために関係をもったりしません。まあ、すべての動物について調べた訳ではありませんが、おそらくそうです。 それ以外にも、ちがうところはたくさんありますが、ただ生きていくだけではない部分が人間が人間である意味なのかなと思います。 読み書きは素敵な贈り物 ただ生きていくだけではない部分の一つが、読み書きです。実際、動物は単に情報を伝えるだけでも文字を書いたりはしません。おそらく、声やしぐさでコミュニケーションを取っているのでしょうが、人間のように文字で意思を伝えるという抽象的な能力はないはずです。 わたしたちは教育されなければ文字を読んだり、書いたりすることはできませんが、そのようなプログラムが先天的に備わっていることはまちがいないでしょう。これは進化してそうなったのではなく、初めから神様が人間に与えられたすばらしい能力・贈り物です。 その贈り物とも言える読み書きの能力を使うかどうかは各自の自由です。学生だと、卒業するためには読み書きが必要です。その後もビジネスや生計を立てるために、読み書きは最低限必要だという人が多いでしょう。 でも、それ以上は必要ないと感じている人が多いでしょう。それは心を癒したり楽しむために文章を読んだり、書いたりすることです。わたしは本を読んだり、書いたりする人がそうしない人より立派だとか優れているとは思いません。農耕や漁に勤しみ家族を養い社会に貢献している人もいます。必要最低限の読み書き以外にはされないかもしれません。それはそれで良いのです。 必要ではないけど、楽しむ ただ生活していく上で読み書きが絶対必要ではない人々であっても心を癒したり楽しむために読み書きをする人がいます。たとえば聖書や万葉集に見る読み書きの楽しみです。 聖書を例に取ると40人ほどの男性が筆記しましたがそのうちの一人であるアモス...